「このままでいいのか」——専攻医のぼくが、消化器内科をやめて転科するまで
朝、通勤の乗り換え案内を見ると、足がすくむ。 気づけば、動悸がしている。 白衣を着て働くこと自体が、しんどくなっていました。
これは、消化器内科の専攻医だった頃の、ぼくの話です。 かっこいい話ではありません。でも、同じように「このままでいいのか」と迷っている人に、何か役に立てばと思って書きます。
なぜ、消化器内科を選んだのか
正直に言うと、自分の軸では選んでいませんでした。 「内視鏡ができれば一生食いっぱぐれない」「専門医のブランドがある」——そういう"外側の理由"で選んだんです。 まわりがそう言うから。すごそうだから。期待もあったと思います。
選んだ瞬間は、選んだ気になっていた。 でも今思えば、"他人軸"で選んでいた。ここが、後でしんどくなる原因でした。
体が、先に悲鳴をあげた
働き始めて、頭より先に体がサインを出しました。 動悸。通勤で足がすくむ。 「気の持ちよう」で片付けようとして、できなかった。
最終的に、休職しました。 医師なのに、自分の不調には鈍感だった。情けないとも思ったけれど、立ち止まれたのは、結果的によかった。
ここで救われたのは、妻の支えでした。 "再起不能"になる手前で立ち止まれたから、復活までの時間は、短くて済んだ。 ひとりだったら、もっと深いところまで落ちていたと思います。
立ち止まって、気づいたこと
休んでいるあいだ、ずっと考えました。 そして気づいたんです——「専門医を取る」が、いつのまにか目的になっていた、と。
専門医は、本当は手段のはず。 じゃあ、目的は何だ? 自分は、どんな医療を、どんな働き方でやりたいんだ?
言葉にしてみると、出てきたのは、地味な答えでした。
- 急性期でバタバタするより、慢性期で、じっくり
- 訴訟に怯えるより、穏やかで、笑顔のある空間で
- 当直で削られるより、自分のペースで
- 街の人の、ちょっとした相談相手のような存在に
消化器内科の救急・内視鏡の世界とは、正直、ベクトルが逆でした。
大学の"中"しか、知らなかった
休んでいるあいだに、もうひとつ、大きなことに気づきました。
ぼくは、大学の6年間はもちろん、初期研修も大学で過ごし、そのまま医局に入った。 つまり——ずっと、大学の"内側"の考え方にしか触れてこなかったんです。
医療の常識も、働き方も、キャリアの選び方も、全部「大学の中の基準」で見ていた。 自分の視野が狭いことに、そのときまで気づけなかった。
視野を広げたくて、全国の医師に会いに行った
休職して1ヶ月。少し動けるようになってから、ある計画を始めました。 大学の外で働く医師に、実際に会いに行くこと。
その人たちが、どんな働き方をして、どんな医療観で、どんなスタンスで生きているのか。 本で読むのではなく、自分の目で確かめたかった。
全国のいろんな先生に会いました。学んだことは、本当に多かった——
- お金の話を、きれいごとで終わらせない正直さ
- 「街の相談相手」のように、地域に根を張る生き方
- 専門性だけでなく、"個性の掛け合わせ"でキャリアを作る発想
- そして、自分の"在り方"から逆算して働く、ということ
大学の中にいたら、一生出会えなかった景色でした。
転科を決めた
迷ったし、怖かった。「今さら」「もったいない」という声も、自分の中にありました。 でも、誰かの期待ではなく、自分で選び直すと決めた。 ぼくは、消化器内科をやめて、精神科へ転科しました(科も、所属する医局も変えました)。
「内科を選ばない」と決めたとき、ふっと体が軽くなったのを覚えています。 それは、ずっと自分を縛っていた"他人軸"から、少しだけ自由になった感覚でした。
医局のレールの外には、選択肢があった
転科を考える過程で、もう一つ気づいたことがあります。 今いる場所しか知らないと、世界が狭い。 外には、転職エージェントもあれば、いろんな働き方も、お金の選び方もある。
知らないまま惰性で走るのと、知った上で選ぶのは、まったく違う。 このサイトは、その"外の選択肢"を、お金の話も隠さず、正直に書く場所です。
同じように、迷っている人へ
専門医を取るのをやめろ、という話ではありません。 ただ、一度だけ立ち止まって、「これは自分が選んだ道か」を確かめてほしい。
体がサインを出す前に。 あなたのキャリアは、あなたが選んでいい。
※これは運営者・じんの個人的な経験です。働き方やメンタルの感じ方には個人差があります。つらいときは、無理をせず、産業医や専門家にご相談ください。