【実話】期待に応える人生は、いつか体にくる【期待は選んでいい】

期待に応える。いい言葉だ。 親の期待、上司の期待、患者さんの期待。応えるたびに「ちゃんとした人」になれた気がする。
でも気づいてた? 期待に応えると、ご褒美に"次の期待"が来る。
期待に応える人生は、ゴールが永遠に動く
医学部に受かったら、次は国試。受かったら、いい研修先。次は入局、専門医、その次はサブスペ——。
ひとつクリアするたび、ゴールテープが先に動く。 このレースの何が問題って、「もう十分」を決める権利が、自分にないこと。審査員は常に他人。他人の採点基準は、こちらの体力を考慮してくれない。
応え続ける人生は、一見立派で、構造的には無限ループだ。
「期待に応える」は、自分の決定の外注
期待に応えるのって、実は楽なんだよな。 何をすべきか、他人が決めてくれるから。自分で考えて、自分で選んで、自分で責任を取る——この一番しんどい仕事を、外注できる。
俺もずっと外注してた。「期待される道」を選んでる限り、失敗しても言い訳が立つ。「みんながいいと言ったから」って。
でも外注のツケは、ちゃんと請求される。自分の人生なのに、自分が乗ってない感覚。あれが積もると、結構くる。
【実体験】頭は忖度するけど、体は忖度しない
俺の場合、請求書は体に来た。 動悸。通勤で足がすくむ。頭は「まだ頑張れる」と言ってるのに、体が出勤を拒否した。休職して、転科した。
後から分かったのは、頭は期待に忖度するけど、体は忖度しないってこと。 「疲れてるだけ」「気の持ちよう」と頭が言い訳を作ってる間も、体は正確にカウントしてる。
体のサインが出てからじゃ、遅いとは言わない。でも、高くつく。
【結論】期待は"応える"ものじゃなく、"選ぶ"もの
期待を全部裏切れ、って話じゃない。それも極端で、しんどい。
俺の結論はこう。期待は、応えるものじゃなく、選ぶもの。 来た期待を全部受けるんじゃなく、机に並べて、「これは応えたい」「これは応えられない」と自分で仕分ける。応えたい期待だけ、引き受ける。
仕分けの基準はシンプルで、「応えた先の毎日を、自分が生きたいか」。
あなたが今応えようとしてる期待、それ、選んだやつ? それとも、来たから受けてるだけ?
※心身がつらいときは、無理せず産業医や専門家にご相談ください。