【レールの正体】安全じゃなくて、思考停止かもしれない【寝たまま乗るな】

医学部→国試→研修→入局→専門医。 気がつけば俺たちの業界、ずいぶん立派なレールが敷いてある。
レールの上は安全——本当に?
レールの安心の正体は、「考えなくていい」こと
レールに乗ってる時の安心感、分解してみたことある?
行き先を考えなくていい。時刻表通りに進めばいい。隣も後ろもみんな乗ってる。 ——つまりあの安心の正体は、安全性じゃなくて、「自分で考えなくていい」ことなんだよな。
考えなくていいのは、楽だ。楽なのは悪じゃない。 ただ、「安全だから乗ってる」と思ってたものが実は「楽だから乗ってる」だった場合、話が変わってくる。安全は検証されてない。
レールは、敷いた人の都合でできている
もう一つ、見落としがちなこと。 レールって、自然にできたものじゃない。誰かが、何かの目的で敷いたものだ。
制度は制度を作った側の事情でできてるし、組織の人事は組織の必要性で回ってる。悪意の話じゃない。仕組みは仕組みのために最適化される、というだけの話。
つまり、レールの行き先は「あなたが幸せになる場所」に設定されてるとは限らない。 「仕組みが必要とする場所」に向かってる。重なってればラッキー。重なってるかどうか、確かめた?
【定義】本当の安全は「外れても死なない準備」のこと
じゃあ何が安全なのか。俺の定義はこう。
安全=レールの上にいることじゃなく、外れても生きていける状態のこと。
外の働き方を知ってる。給料の仕組みを知ってる。市場での自分の値段を知ってる。いざとなれば動ける貯金と情報がある。 ——この状態なら、レールに乗り続ける選択すら「自分の選択」になる。いつでも降りられる人が乗ってるのと、降りられないから乗ってるのは、同じ車両でも別の乗り物だ。
【結論】乗ったままでいい。目だけは覚ましておけ
「今すぐレールを降りろ」って話じゃない。俺だって医療のレールから完全に降りたわけじゃない。乗り換えただけだ。
言いたいのは1つ。乗ったままでいいから、寝るな。 窓の外を見て、行き先を確認して、時々「このまま乗ってていいんだっけ」と自分に聞く。それだけで、思考停止の惰性と、選択としての継続は、まったく別物になる。
あなたの乗ってるレール、行き先はどこ? それ、あなたが行きたい場所?