【肩書きは鎧】増えるほど、自由は減っていないか【脱げる鎧だけ着ろ】

専門医、指導医、認定医、◯◯学会所属。 肩書きが増えるたび、強くなった気がする。選択肢が増えた気がする。
なのに、なんでだろうな。 増えるほど、身動きが取りにくくなってる気がする。
肩書きは鎧。着るほど守られて、着るほど動けない
肩書きは鎧だ。攻撃から守ってくれる。「何者ですか」と聞かれた時に、差し出せるものがある安心感。
ただし鎧には重さがある。 取るのにかけた年数。維持の更新料と単位。そして何より——「これを捨てたらもったいない」という心理的な重さ。
鎧を3枚も4枚も着込んだ騎士は、もう走れない。守りは完璧で、機動力はゼロ。 着れば着るほど縛られて、自由が失われていく。別の選択肢から、どんどん遠ざかっていく。それ、強いって言うのか?
【盲点】資格の値段は、取得費じゃなく維持費で見る
「とりあえず取っておけば損はない」。よく聞くし、俺も言ってた。
でも正確には、損はある。資格の値段は、取得費用じゃなく維持費で見るべきなんだよな。 更新の単位、学会費、出席義務。そして「取ったから活かさないと」という発想の縛り。サブスクと同じで、1個1個は小さくても、積もると毎月の自由を確実に削ってくる。
「何のために」が言えない資格は、資産じゃなくて固定費だ。
肩書きで選ばれると、肩書きでしか選ばれなくなる
もう一つ、怖い話をする。
肩書きで仕事が来るようになると、快適だ。営業しなくても声がかかる。 ただその構造は、裏返すと——肩書きが通用する世界からしか、声がかからなくなるということでもある。
「◯◯専門医のあなた」に来る仕事だけを受け続けると、「あなた自身」に来る仕事はゼロのまま。鎧が本体だと思われたら、中身は誰でもよくなる。
【結論】脱げる鎧だけ、着ろ
肩書きを全部捨てろ、なんて言わない。専門医は強い手段だ。俺も使ってる。
全国の医師に会いに行った時、みんな口を揃えて言ってた。 「肩書きは、結局強い」。結局みんな、肩書きで人を判断する。一番簡単に、その人を判断できる物差しだから。それは仕方のないこと。 肩書きで人を見るような相手と仕事したくない——とも思う。でも、そうも言ってられない。だから俺は、この構図を理解した上で、必要な専門医は取ると決めてる。 やりたいこと。理想とする在り方。それを実現するために必要なら、鎧を着ろ。
基準は1つだけ。「いつでも脱げる」と思えてる鎧だけ、着る。 脱げると思ってる限り、鎧は道具。脱げないと思った瞬間、鎧は檻になる。
あなたの肩書き、道具? それとも、檻?
※資格・キャリアの価値観は人それぞれです。本記事は個人的見解です。